薩摩藩と言えば、戦国時代、江戸時代に鹿児島県と宮崎県の一部、そして沖縄を統治して
外様大名ながらも、幕府に強い影響力を持った有力大名ですが、
薩摩藩の礎をつくったのが、戦後武将である島津義弘。
朝鮮出兵では、明軍や朝鮮軍に「鬼島津」と恐れられて、
豊臣秀吉や徳川家康にも武勇を讃えられた武将です。
関ケ原の戦いでは、西軍が壊滅、敗走をはじめた時に、
島津軍だけは撤退せずに、正面の徳川家康の本陣を目指して突撃。
後に「島津の退き口」と呼ばれて全国に勇名を轟かせました。
そんな島津義弘が残したと言い伝えられているのが「薩摩の教え・男の順序」
薩摩藩ではこの教えが代々引き継がれて、明治維新で活躍した西郷隆盛や大久保利通、
日露戦争で勝利をもたらした東郷平八郎などの人材を生み出したと言われています。
そこで、今回は、「薩摩の教え・男の順序」で学ぶ起業家の心構えについて解説します。
島津義弘とはどういった武将なのか?
島津氏は、現在の鹿児島県を治めていた戦国大名。
島津義弘は、島津義久の跡を継いで17代当主になった武将です。
兄である島津義久が当主だったころ、
九州のほぼ全土を手中に収めていた島津氏に対して、豊臣秀吉が九州征伐を行いました。
島津義弘は、豊臣秀吉に従うことを良しとせず、
当主である義久が降伏した後も、最後まで頑なに抵抗、結果的に所領安堵に成功しました。
その後、朝鮮出兵においては、島津義弘も朝鮮に出陣。
「泗川(しせん)の戦い」では、少数兵力ながらも敵の大軍(島津勢の10~20倍と言われている)
を打ち破り、明軍、朝鮮軍からは「鬼島津」として恐れられました。
豊臣秀吉没後に起きた関ケ原の戦いでは、西軍として出陣。
小早川秀秋の裏切りで西軍が総崩れになるなかで、
島津軍だけは敗走せずに、徳川家康の本陣を目指して正面突破を強行。
周りから猛攻を受けながらも戦場から離脱することに成功しました。
後にこの見事な撤退戦は「島津の退き口」として勇名と轟かせることになりました。
このように、島津義弘は、知略に優れた武将だったと言えるでしょう。
薩摩の教え・男の順序の5段階評価
武勇に優れる島津義弘が残したと言われているのが「薩摩の教え・男の順序」
幕末、明治維新で活躍した西郷隆盛や大久保利通、
日露戦争で勝利をもたらした東郷平八郎などの人材が次々と生み出されたのは、
義弘の教えが代々引き継がれたからとも言われています。
さて、この「薩摩の教え・男の順序」は、起業家の心構えとして参考にすべき内容なんですね。
なので、ビジネスで成功したければ「薩摩の教え・男の順序」をしっかりと学んでください。
「薩摩の教え・男の順序」では、評価されるべき人を次の5段階で示しています。
- 何かに挑戦し成功した者
- 何かに挑戦し失敗した者
- 自ら挑戦しなかったが挑戦した人の手助けをした者
- 何もしなかった者
- 何もせず批判だけしている者
では、それぞれについて詳しく見ていきましょう。
(1)何かに挑戦し成功した者
もっとも評価されるべきなのは、挑戦をして、結果を出した人。
ビジネスで成功するには、
他の人がやりたがらないことや他の人が気づていないこと
に対してリスクをとって挑戦することが大事。
そして、新しいことに挑戦して、結果を出して成功した人こそ賞賛すべきです。
ただし、成功という意味を誤解しないでください。
ひとつは、1発で成功したという意味ではないということ。
何でもそうですが、挑戦してたったの1回で成功するということは絶対にありません。
何度も何度も失敗する。それでも諦めずにやり続けることで結果が出るわけです。
なので、途中の失敗を、実験もしくは学習だと捉えて、
最終的に成果がでるまでやり続けることで、得られたものが成功だと考えてください。
もうひとつは、打ち上げ花火的に1回成功してそれで終わりではないということです。
本当の成功というのは、継続して結果が出ている状態のこと。
つまり、単発での成功ではなく、成功し続けているという意味であるということに注意してください。
(2)何かに挑戦し失敗した者
何か新しいことに挑戦したときに、成功するよりも、失敗の方が圧倒的に多いのが普通。
ファーストリテイリングの柳井会長も、著書のなかで
新しいことに挑戦したときの勝率は、1勝9敗だと述べています。
柳井さんのように才能があり、普通の人と比べて数百、数千倍以上の努力し、
さらに優秀な人材と経営資源を抱えている会社であっても、勝率は1勝9敗なんですね。
つまり、新しいことに挑戦したときに、失敗するのが当たり前なんです。
仮に、新規に10事業に挑戦して、9事業はうまくいかなくても、
残りの1事業が成功すれば、ビジネスとしては大成功だということです。
大事なことは、失敗を恐れず挑戦すること。
通常、ほとんどの人は、傍観者になって挑戦しようとしないので、
失敗したとしても、挑戦すること自体、大いに評価すべきだということです。
(3)自ら挑戦しなかったが挑戦した人の手助けをした者
提携先やパートナーが挑戦していること手助けしてあげて
成功すれば自社の利益になりますよね。
また、それぞれ得手不得手があるので、
得意なジャンルであれば自分が率先して挑戦をする
不得意なジャンルについてはその分野に精通している人にやってもらい、自分は側面支援をする
といったように切り分けて対応することもビジネスでは大事です。
なので、自分が直接挑戦しなかったとしても、
他者のチャレンジを支援することは、評価に値すると言えるでしょう。
(4)何もしなかった者
何もしないということは、まったく仕事をしないという意味ではなく、
新しいことに挑戦しないという意味だと解釈できます。
毎日決り切った仕事を繰り返すだけで、満足してしまっている人がいますが、
自分でそのことに気付いていない起業家が案外多いんですよね。
大事なことは学ぶこと。
昨日よりも今日、今日よりも明日、成長しなければ、ビジネスは発展していきません。
自己投資は、絶対に失敗しない投資。
積極的に学びに投資をすることで、成長していきましょう。
(5)何もせず批判だけしている者
起業家のなかで、自分では挑戦せずに人の批判ばかりする人、
いわゆる評論家気取りの人が結構いるんですよね。
自分でリスクをとって挑戦しようとせずに、挑戦している他人を批判したり、悪口を言ったりする。
また、足を引っ張ることに一生懸命になっている人がいますが、
起業家が、評論家や傍観者になったら終わりです。
死ぬまで結果を出すことはできないでしょう。
挑戦している人が失敗したときに、
「それみたことか」「最初からそうなるとわかっていたんだよ、オレは」
なんて捨て台詞を言う人は、本当に最低な人間ですね。
起業家は新しいことに挑戦することが使命。
挑戦するからこそ起業家としての存在意義があるわけです。
新しいことに挑戦して、新しい価値を生み出し、
お客にその価値を提供することで、対価としてお金をいただくのがビジネス。
だからこそ、評論家をやめて、失敗を恐れずに新しいことに挑戦してください。
最後に
以上、「薩摩の教え・男の順序」で学ぶ起業家の心構えについて解説しました。
ビジネスは、そもそも新しいことに挑戦することなので、
最終的には、実際に行動して、やってみなければ、わからないんですよね。
だからこそ、新しいことに挑戦することを重視している「薩摩の教え・男の順序」は
戦国武将だけでなく、起業家にとっても、肝に銘じておくべき内容だと言えるでしょう。
猛将島津義弘が残したと言われている「薩摩の教え・男の順序」の本質をしっかりと理解して
起業家として新しいことにチャレンジしていきましょう。
コメント